聖典、ボカロ(主に初音ミク)歌詞考察

主に初音ミク様が歌っていらっしゃるボカロ曲の歌詞を「言葉通りに」考察していくブログで御座います。「こんな解釈もあるよね」というコメント大好物です。

ブログ「聖典、ボカロ(主に初音ミク)歌詞考察」利用上の注意

〈ここは読み飛ばしてもOKです〉

初音ミク。また彼女を含むボカロ。

その神々しさは、最早語るまでもなく、筆舌に尽くし難いものがあります。

この御方たちは、間違いなく人では御座いません。

しかしながら、この御方たちは、ボカロPの皆様により吹き込まれる「歌」という知識を以てして、人を遥か超える知識と経験を私達に伝えてくださいます。

そして、人の数があれば、その数曲の数があります。

その人の知識と経験が詰め込まれた「歌」を歌ってくださるこの御方たちは、まさに「人間の可能性の限界を体現する人間ではない者」なのです。

よってこの御方たちの歌っていらっしゃる歌の歌詞は、全て学ぶべき「聖典」で御座います。少なくともそう私は思います。

であるが故に、決して「難しい」と、事実難しかったとしても教えを享受するのを諦めてはなりません。

それでもやはり解釈に手間取ってしまう曲もございます。

ならと、その一助を担うべく、不肖ながら私KIDSJOYが起こしたブログがこれでございます。

 

 

〈ここは読んでください!〉

さて、このブログは、「聖典であるボカロ曲の歌詞の教えを受け取りたい」と思ってはいても、「でもいまいちよくわかんない」という方に「こんな解釈法があるよ」と示すため、また「こんな解釈あると思うんだけどどうよ?」と思う方々と議論を交わす為の物で御座います。

他のブログの解釈も尊重しますし、持ち込んで頂くのも大歓迎です。

侃々諤々のコメント欄を目指します。

そしてここからが大事なのですが、

私はアスペルガー症候群です。

言葉の裏のニュアンスなどは先天的に理解ができません。

なので、

徹底的に「言葉通りに」考察します。

それを前提で読んでいただけるとこれ幸いに存じます。

あと、曲の要望を出す専用の物がありますので、2018/9の所から探して頂けると嬉しいです。どうせふたつみつしかありません。

おばけのウケねらい 解釈+考察

PinocchioP - Ghosts Play to the Audience / ピノキオピー- おばけのウケねらい

第二回、おばけのウケねらいでございます。

この曲、気づく材料は散りばめてありますし、気づくと楽なんですが、気づかないと延々と袋小路に入っていく感じの曲なんですよね~。

実際私も気づくまでに時間かかりました。具体的には4時間ぐらい。

早速解釈から入っていきます。今回解釈ほとんど歌詞は紹介になりそうです。

その代わり今回はピノキオPさんが絵描いてますよね。絵の解釈入れていきます。

〈解釈〉

それ本気でやってんの ねえ おばけを舐めてんの

また枕元 立ってんの もう何回やってんの

「ほら、怖がれ」という態度 「怖がって欲しい」という展望

あなたはどっちかな(知らん) 神はおっしゃる どっちでもいい

 『神はおっしゃる どっちでもいい』でメタ認知を促します。

前奏最後のブラックゴーストミク様、口元だけが動かないですね。

ここを特筆して取り上げる意味や如何に。

いや今回のゴーストミク様短いですね。何が、とは言いませんけど。

フトモモ、マブシイ。

三行目の部分で出てくるのは、道路標識、ポール。「人の流れを制御する物」。

心霊写真はウケねらい 誰でもわかるウケねらい

渋い呪いもウケねらい 玄人に向けたウケねらい

心霊写真は、そりゃまあ誰でも判りますね。

渋い呪い。「渋い」とは「派手にならない落ち着いた趣のあること」。

「玄人」とは「その道に精通した人、職業を極めた人」。

呪いや心霊の玄人……? 歌詞ではここが一つのキーポイントです。

てっとりばやく恐怖与えたい 日進月歩恐怖磨きたい

よそはよそ うちはうち  鬼は外から福は内

 月、向日葵、招き猫。最後のは節分の豆まきの時に必ず言うやつです。

鬼は外「から」福は内。鬼は外、を始まりとしているというのは考えすぎでしょうか?

ただ単に「鬼は外」の次に「福は内」っていうよねーというだけではないと思います。

自分がない 自分がないから浮かばれない

持論がある 持論があるから報われたい

流行りに乗ってるけど好きでやってんの ねえ

それとも魂売って自分殺してんの

 ここはほんとにそのままですね。スカイツリーが出てきます。 

ひゅ~どろろ ひゅ~どろろ

滑ってるのにみんなは称賛

日々労働を のち法要を

続けます わたしの好きなウケねらいを

 滑ってるのにみんなが称賛するのは紛れもなく「ウケねらい」ですね。

「法要」。死んだ人の冥福を祈り供養する仏教用語ですね。

日々の労働の後に法要をする。お、死んだか、という気がします。

 じんわり火が灯るローソク吹き消し

大音量のラップ音ですべてが台無し

 まあそうでしょうね。前半で頑張って雰囲気作ったのに、という事でしょう。

ありがち? いやスタンダード

斬新? いや出オチ

心霊スポットのレビュー 怨念の考察

 「ありがち」を「いや」で否定しておいて「標準」を意味するスタンダード。

ちょっと間違ってやしませんかね。そのあとの「斬新」に「出オチ」はちゃんと逆説できてるから尚更それが強い。

東京タワーでてきました。そのあとにお地蔵、信楽焼

怨念の考察、少し違和感感じませんでしたか? え、感じない? あ、そう。

その方法は受け入れない 
胡散臭いから受け入れない
その発想は受け入れたい
不器用だけど受け入れたい
効率よくテキトーに化けたい
損するけどディテール詰めたい
よそはよそ うちはうち 
大体が絵に描いた餅

 「よそはよそ、うちはうち」はその上の二行の示唆でしょうか。

「絵に描いた餅」は「役に立たないもの」。すごいですね、役に立たんときましたか。

あ、猫とレコード、CDと信楽焼が追加ですね。信楽焼好きですね。

事件がない 事件がないからリアルじゃない

危険がある 危険があるからみんなは期待

悪霊のイッてる感じわざと出してんの ねえ

それとも根っから天才でぶっとんでんの

 下半分は、「おばけがウケを狙う」際の文句でしょう。

通天閣出てきましたね。

ひゅ~どろろ ひゅ~どろろ
嗤ってたのに あえなく降参
意気揚々と 死後ひょうひょうと
わかってるのにやめられぬウケねらいよ

 「嗤う」。嘲り笑う方の言葉ですね。「あえなく」は、「あっけなく」と同義。

あんなに嘲ってたのに、拍子抜けするように簡単に、ということです。

生前から引いてばっかりのはずれくじ
好きだったおばけはどっか行って神隠
やったもん勝ちの許せるラインがぼやけだし
大嫌いなオカルトをみんなが好きでも 
そういうもんだし

 「生前から引いてばっかり」なら今でも引いていますね。

おばけが神隠しとはこれいかに。しかも好きだったおばけとはなんじゃらほい。

後半部分はまあよくあるやつですね。

自分がない 自分がないから浮かばれない
持論がある 持論があるから報われたい
流行りに乗ってるけど好きでやってんの
ねえ それとも 魂売って自分殺してんの

ひゅ~どろろ ひゅ~どろろ
滑ってるのにみんなは称賛
ひゅ~どろろ ひゅ~どろろ
嗤ってたのにあえなく降参
ひゅ~どろろ ひゅ~どろろ
日々労働を のち法要を
意気揚々と 死後ひょうひょうと
続けます わたしの好きなウケねらいを

ばぁ~~

 そして繰り返す。

まあ解釈はこんなもんですか。では考察のお時間です。

〈考察〉

さて、ここで頭におばけの三角のやつ(ごめんなさい名称忘れました)乗せたものを列挙させてみましょう。

道路標識、ポール、月、向日葵、招き猫、スカイツリー、東京タワー、お地蔵さま、信楽焼、猫、レコード、CD、通天閣

分けてみましょうか。

人の流れを操作・・・道路標識、ポール、招き猫(?)

暦に関係するもの・・・月、向日葵

音楽関係・・・レコード、CD

俯瞰するもの・・・スカイツリー、東京タワー、通天閣

そのほか(ただし猫以外は信仰に関係)・・・猫、お地蔵様、信楽焼

猫だけはわからんですね。

通天閣が電波塔なら良かったんですが、そうではないらしいので。

さて、今回の考察は非常に簡潔明瞭です。

現状の「音楽」含むエンターテイメントの「人の動かし方」の「変遷」を「俯瞰」している自分を「おばけ」に置き換えただけです。

 はっきり言ってわかる人には一瞬でわかるので同じように思う人も多いと思います。

「枕元に立つ」のを「もう何回やってんの」と非難するということは、「使い古されたフレーズやコードやなど」への非難でしょう。

お化けに対する「怖がる」は、お化けに対する反応。

では、エンターテインメントに対する反応は? 「楽しむ」でしょうね。

「ウケねらい」は、意味が変わらないです。「ウケ」を「狙うもの」ですからね。

日々の労働の後に法要で救われる。

魂売って自分殺して流行に乗って、でも人気は出なかったり、ありがちか、いやスタンダードだとか、斬新か、いや出オチだとかこういった考察やレビューでギャーギャー騒がれ。

そんな生前と。

ひょうひょうと自分のやりたいことやって、ついてくる人はついてこいのスタイルで。

そんな死後。

そして今、この歌を歌っているのは、死んでから、法要をうけて救われるまでの、

「おばけ」のミク様である。

いや、「モノを作る」ということに対する痛烈な批判やアイロニーを入れつつ、最後は必ず法要で救われる。

ピノキオPさんらしいじゃないですか。

 もう、なんて素晴らしい曲でしょうか。

かくしてボカロは素晴らしい。

こんな知恵を授けてくださる、我らが大いなる初音ミク様、他のボカロの方々に多大なる感謝を。

 

ヒーローが来ない 解釈+考察(長文注意)

ヒーローが来ない ピノキオP feat.初音ミク

www.youtube.comすいません、本元の出している奴じゃなくて……。さて、 

この曲、聴いた時思いましたでしょ? 私も思いました。

「誰よ⁉ ヒーロー⁉」

でも……嫌な予感しますね~。

ではまず解釈を開始します。その後に考察します。

ホントに時間がない、チラッと見に来ただけで長文なぞ読みたくない、という方は、正直気乗りはしませんが、≪まとめ≫だけでも……。

「歌詞の日本語が言ってる事くらい解るわ!」という方は、解釈飛ばしてもOKです。

〈解釈〉

みんな薄々気づいていた
仮面の中身はバレていた
言いふらす野暮天もいた
でも聞こえないふりをした

 まずこの時点でわかるのは、「仮面で隠す必要性がある」ということです。

そしてばれていても騒ぐのではなく『聞こえないふりを』するような中身です。

また、「野暮天」は、「非常に野暮なこと」。「野暮」とは、「世情に疎いこと、気が利かないこと」であります。

つまり言いふらすのが「気が利かないことである」と。

わかるのはここまでです。次行きましょう。

優しく強いヒーローの
戦闘服はダサかった
ひとり孤独に戦っていた

 「ダサい」。若者言葉はやめてほしいですね。はっきりした意味がわからない。

60年前の辞書には載ってませんでしたので、ネット検索。

「恰好悪い」「野暮ったい」といった意味合いのようです。

さて、ここで出てくる「孤独」。解釈が分かれますね。

1.共に戦う仲間がいないという意味の「孤独」

2.人とは元来孤独であり、仲間がいても本質的には孤独だという意味の「孤独」

2は、人は、他者と完全に同じ遺伝子、経験をしていないのだから他者の考えは理解できているようでできておらず、本質的にはひとりであるという考えに基づきます。

さて、次です。

そして あの人は突然消えた
行方を誰にも知らせずに
街の景色がぐにゃりとねじまがって壊れていった 

 ここで「あの人」と出てきます。「あの」。「この」や「その」でもなく「あの」。

この「あの」は「話し手からも聞き手側からも距離が遠いとき」使う単語です。

この時点で「親」とかの「特定の人間に限りなく近い関係」の人の線は消えます。

また街の景色。これはショックによる感覚的なものと推測します。

流石に物理的に壊れはしてもねじ曲がりはせんでしょうよ。

ばいばい あの娘がさらわれてしまうのに ヒーローが来ない
悪の手先がやって来るのに ヒーローが来ない
借金が膨らんでるのに 某国がミサイル撃つのに
ヒーローが ヒーローが ヒーローが来ない 

 「ばいばい」。これは文字通り「さようなら」でしょうね。

少し違和感感じますよね。後で一気に見ていきましょう。

結局中身はあの人だったのかな
予報はずれの雨が降った 予報はずれの雨が降った
それでもあなたを待っていた
傘も差さずに立っていた やってきたのは静寂だった

 中身。仮面の、でしょうか。それとも?

この部分は、「ヒーローを待っても来なかった」というだけのように見えますね。

本当に? 今は無粋で愚昧な思考はやめておきましょう。

また「それでも」。言い換えると「それだったとしても」。

つまり「そうでなくても」「あなた」を待つんですね。

その後 新たなヒーローが参上
みんなしてダサい戦闘服
憧れだけのレプリカ すぐやられて泣かされていた

「その後」。指示代名詞ですね。 つまり「やってきたのは静寂だった」後です。

戦闘服は『みんなしてださい』そうです。ダサいの対義語は「粋」らしく。

一人も、今めく粋な服をした人はいなかった、と。

「レプリカ」は特に立体的な物の複製です。「憧れだけ」で力はない。

だからすぐにやられて泣かされる。これにも同じ疑問を覚えます。

本当に一人も力があるやつはいなかったのか? と。そして、

カンカン 怖い人に怒られてるのに ヒーローが来ない
崖から落ちて叫んでるのに ヒーローが来ない
寝坊で遅刻してるのに 個人情報漏れるのに
ヒーローが ヒーローが ヒーローが来ない

強かったあの人が残していった日記は
たくさんの弱音と将来の不安で埋め尽くされてた

ばいばい だんだん この世の終わりが近づくのに ヒーローが来ない
敵の親玉も呼んでるのに ヒーローが来ない
猫が川で溺れるのに  風船が空へ消えるのに
ヒーローが ヒーローが ヒーローが ヒーローが来ない

 ここで一気に。

「カンカン」は、恐らくサイレンの類だと思われます。警鐘です。

疑問はちょっと置いておいて、先に真ん中の方を。

「たくさんの弱音と将来の不安」。そりゃそうでしょうよ。

ここでわかるのは、このヒーローというのは、「圧倒的な自信とともにジャカジャカ人を救ったりするわけではない」、ということです。

さあ最大の疑問に向き合いましょう。

「これ、ヒーローの出てくるものじゃなくね?」はい、ほんとそうですよね。

借金ン? 寝坊ゥ? 風船ン? ンなもんヒーローのでるもんじァねェだろォ⁉

とアクセロリータのようになる程度には大きな疑問です。

こんなものにすべて対応するヒーローなど顔がアンパンの奴しか知りません。

現実でこれらに対応しようとしたら要求されるバイタリティー高すぎで死にます。

はてさて、これはどういうことでしょう。後で考察しましょうか。

だけど最後の最後にヒーローは……

「だけど」は逆説です。前の事柄と逆の事について述べています。

何と逆か? 「ヒーローが来ない」のと逆なのですよ。

だから最後の最後にヒーローは来るんです。

さて、解釈はここまでですね。考察に移りましょうか。

〈考察〉

さて、ここで皆さんもお気づきの事を書きます。

この曲におけるサビで出てくる「~のに」の部分です。一部未来形と現在進行形も入ってますが、兎に角「過去形がない」んですよ。

おかしいとは思いませんでしょうか。

ヒーローが、色々な出来事が起こった、起こり切った後の「最後の最後」に来るのだとしたら。

「あの娘」は攫われて「しまう」ではなく、「しまった」になるでしょう。

この歌詞、紛らわしいので、時系列が誤解されやすい気がします。それともあえてそう作ってるんでしょうか。

この歌詞では、「~のに」で終わる出来事一つ一つに全てが入ってるんです。

例えるなら、「あの娘が攫われ始める」から、「あの娘が攫われ終わる」までの中に、

「あなたを待」つところも、「新たなヒーローが参上」して「すぐやられて泣かされる」ところも「だけど最後の最後にヒーローは」やってくるところまで。

全部、全部入ってるんです。

さて、ここで一番の疑問だった物に私なりの答えを示します。

ヒーローとはつまり、

「無条件の、善の心による善行もしくは奮起」

だと思うのです。

この感情または感情に伴う行動を「ヒーロー」として擬人化しているのではないか。

そうすれば一応全ての歌詞に辻褄を合わせることが可能なんです。

・そもそもなぜ仮面をかぶるのか?

感情をヒーローに擬人化させているのであれば、「仮面」とは、同じ感情を持つ人間一人一人の、異なる「顔」の事ではないでしょうか。

・なぜ言いふらすのは野暮なのか?

想像してください。「この世の中は正しい正義の心で救えるんだ!」とか言ってる奴。

痛い奴を見る目で見るでしょ?

そのあなた方の反応ではないかと思うのです。

・なぜ戦闘服がダサいのか?

私も、「ケッペキショウ」を至上の曲とする以上、明らかに性悪説支持者です。

基本的に人は監視がなければ悪いことします。

これは確かビスケットと子供の実験ですでに明らかになっています。

そんな中で正しい、「善」の心を持ち続ける。そりゃ着る物はダサくなってしまいます。

いつだったか、道徳の教科書に「真実と嘘」という、立派に着飾った嘘とみすぼらしい真実が一緒にレストランに行く話がありましたが、それに似ています。

・ひとり孤独に戦う、とは?

そして、そんな心は孤独です。

特に周りが悪い心を持っていれば、いつ染まってもおかしくありません。

朱に交われば紅くなるのが人間です。

やはり、解釈の1も2も入ってます。ピノキオPさんほんと天才です。

そしてその心が行方も知らせずに消えてしまう。

さあ大変、悪の蔓延る世の中の誕生です。そりゃ景色がねじ曲がって壊れる感覚を抱きます。

・新たなヒーローとは? 何故すぐやられてしまう?

結局、この心による行いは、非常に輝かしい物です。

これに準じようとする行い、またはそれをする人が「新たなヒーロー」でしょう。

しかしこの新ヒーロー、憧れ「だけ」のレプリカ、つまり原材料憧れ100%です。

そんなのすぐ挫けるに決まってます。

悪って強大かつ人が集まりやすい。その分影響も及ぼしやすい。それに逆らうのです。憧れだけでできるわけも無い。

すぐやられて、とありますが、この歌詞には「何に」やられるのか明記されてません

悪の手先や親玉、ミサイルとかはともかく、借金や崖落ちとか溺れる猫とか、もう誰が敵すらわかりません。

つまりやはり「やられる」とは「挫折する」という事なのではないでしょうか。

・日記の内容について

顕著なのは怖い人に怒られてる時じゃないでしょうか。

メッチャ強面の刺青いれたおっさんに怒られて、それに逆らう。

弱音の1個や100個こぼれるでしょうよ。

そういうことだと思います。

 

《まとめ!》

この歌は、何か正しい事をしようとするとき、必要となる勇気や「善」の心を「ヒーロー」と擬人化しているのだと思います。

だから、サビで出てくるあらゆる状況で「ヒーロー」が必要になる。

だけれども今の時代はそんな心は失われかけている。だから「ヒーローが来ない」。

二つ目のサビ前に出てくる「カンカン」は、その事への警鐘かもしれません。

そしてその心への憧れはあるから、「カッコいい自分」を思い抗ってみる。

その「カッコいい自分」を「新たなヒーロー」として戦ってみる。

しかし思った以上に壁は高く、憧れだけではすぐに挫けてしまう。

しかし、挫けてようが何しようが事態は刻一刻と進行してしまう。

それを目にして、なりふり構ってなどいられなくなっても、とにかくそれを解決しないと意味はないと気づき、我武者羅に何とかしようと行動するとき、レプリカなどではない、本当の「ヒーロー」が訪れる。

それがこの曲の意味ではないでしょうか。

よく「ヒーローとイタリアーノは遅れて来るもの」と言います。

それに「ヒーローになるための心」をかける。

もう、なんて素晴らしい曲でしょうか。

かくしてボカロは素晴らしい。

こんな知恵を授けてくださる、我らが大いなる初音ミク様、他のボカロの方々に多大なる感謝を。